大地組スクール保護者(卒園児・在園児母、コアスタッフ) 

井手 みのり さん

コロナ休校明けのある日、1年通った小学校を「卒業する」と娘は言いました。

1年で友達も沢山できて楽しく通っていると思っていたのですが「わたしは大地組に行きたい」と自分で決めた彼女を、かっこいいと思いました。彼女だってきっと友達に会えないのは寂しいなとか、学校に行かなくていいのか不安だとか、いろんな想いがあるはずなのに、自分の内側の感覚に正直でいられて決断できるなんて、大人の私ですら難しいことです。(いや、大人のほうが難しい…?)
その覚悟に親も心を打たれ入学を決めました。

娘は今、大地組での毎日を心から楽しんでいます。
ある日の言葉。
「ねえかあちゃん、大地組ではやりたいこと何だってできるんだ!みんなで色々考えたら外国にだって行けるかもしれないんだよ!」

自分には可能性がある。夢は叶う。
そう信じられることが、子どもにとってどんなに幸せなことか、と彼女を見ていて思います。

学校に行っていた1年間も娘の成長につながっているし、学校でしか経験できないこともある。
ただ、多様な子どもたちの個性が輝ける場所が色々あっていいじゃない、と思います。
私にとって、子どもたちがキラキラして夢中で過ごしている時間が宝物です。

大地組スクール保護者

森 有日子 さん

大地組スクールでは仲間・自然・自分との対話を大切にしていて、話し合いがよく行われてる。子ども達がお互いにそれぞれ自分の意見・思いを言い合って、着地点を探していく。その土台となっているのは、そこが安心・安全の場所であること。
大地組スクールで子ども達がためらいもなくとても自然に自分の意見・思いを伝えて話し合いができるのは、ここでは自分が受け入れられているという空気感、つまり、安心・安全な場所だと感じているからなんだろうと思う。
もちろん行動を否定されることはあれども、存在自体はありのままのあなたでOKと肯定される。私などはついつい意見や行動を否定されると、自分を否定されたと思いがちであるが。自分と違う意見であっても、お互いがお互いを受け入れられているという感覚があれば、それはただの意見の違いであって、お互いの否定にはならない。そんな空気感が大地組スクールにはあるように思える。そういった事が対話していく上で、とても重要なんじゃないかと、ここの子ども達をみていて思う。これからの多様性が求められる社会では様々な価値観の人との対話が必要になってくるが、こういう土台がないと対話というのは成り立っていかないんじゃないかなと思える。
大地組スクールの面接の時、まだ実績がないのにどうしてここを選んだのかと質問されて、代表のともちゃんだったら大丈夫なんじゃないかと思ったから、と答えた。まだ創設時で決まっていない部分が多々あって、トライ&エラーで進んでいくやり方・方法の部分に大丈夫と確信があったわけではないし、これから色々あるんだろうなと思ったけれど、ともちゃんの人への寄り添い方であれば大丈夫だと思った。ありのままのあなたでOKという、ともちゃんの、森わらの温かい雰囲気が、実は対話の土台にとても重要なんだなと、今改めて気がつきました。

森のようちえん保護者

松葉 綾子 さん

森わらで、私も娘もいっぱい愛を受けとりました。
腰痛で思うように動けず、娘の送り迎えをお願いしたり、当番を代わってもらったり…。人に迷惑をかけることが嫌で、今でも人にお願いする時は心苦しさを感じてしまいますが、この一年で助けて欲しい時には助けて欲しいと言えるようになりました。私1人の時は自分が我慢すればよかった問題も、二児の母になり、私1人の我慢では済まない事が増えたのです。周りをどんどん巻き込んでいかないと、不器用で腰痛持ちの私には子育ては到底やっていけないと痛感しました。
ともちゃん曰く、迷惑をかけるイコール愛されてる証拠と。ということは私はこの一年おひさまさんやスタッフさんからなんと多くの愛を受け取ったことでしょう。
できれば迷惑をかける側ではなく人の役に立ちたいと話した私に
「人にはそれぞれ役割があって、きっとあやちゃんの今の役割はみんなに助けてもらうことなんじゃないかな。今出来ないことを助けてもらって、出来ることをやればいいよ」とスタッフさんからの温かい言葉。「助けてもらう役割」私には思いも付かなかった発想で、頭がガチガチになってしまっている私にはなかなか素直に受け取り難い言葉ですが、今はこの言葉に甘えてしまって、今の私にでも出来ることを探しつつ今後もみんなから愛を受け取ろうと思います。

森のようちえん保護者

大森 綾子 さん

子どもと一緒に美術館に行った時、周りのペースに合わせつつ、見たいものに触らず、近づきすぎず、棚や壁に寄りかからず、ポールに触らず、走らずしゃべらず黙々と歩くって、なんてなんてなーんて難しいんだ!と痛感したことがある。
生き物の本能にことごとく逆らってる!
保育中、森の中で子どもたちは道すがら石を拾い、葉っぱを千切り、水たまりを踏み、棒で地面を叩き、落ち葉を蹴散らし、枝を揺らし、
走ったり止まったり、大きくジャンプ!何ならごろ〜んと寝転がったり…
周りの大人も、何でこんなことするの?って変なこと聞かないから、子ども達も意味なんか考えずに身体と心で存分に森を味わえる。
頭からじゃなく、身体で世界を発掘していく期間って、本当に小さい頃の短い間しかないと思う。
身体から気持ちがはみ出しちゃってどうしようもないお年頃。
私は森わらに入って、息子にたくましくなってほしいとか、
責任感のある子になってほしいとか、ほんとに一切願いがなくて、ただただ息子にとっていい時間を過ごしてほしいと思っている。
いつも笑顔じゃなくていい、泣いたり怒ったり悔しがったり、森の中でいろんな気持ちをたくさん経験して欲しい。
その願いが叶う環境が森わらにはある。
いつも安心して送り出せる。
これって文字通り「有難い」事だと思う。

森のようちえん保護者

塩﨑 友香 さん

「信じて待つ」
森ではうんざりするぐらい出てくるワードですが(笑)、私は待つのが大っきらいな超せっかち。
森で5年経ちましたが未だに待てません。
が、「何故待てないのか?」
自問自答する事が出来るようになりました。
自身の幼少期、実母との関係性。
森に居なかったら立ち止まりもしなかっただろうし、寝入った子どもの寝顔を見て懺悔する事も、癒されもしなかっただろう。
私は待てなかったけど、他の待てるおひさまさん達に散々待って貰って育った我が子達。
森は親に課題も〆切も多く課す大変な所で(笑)、
否応なしに助けを求めざるを得ない。
弱味もさらけ出さずには居られず。
弱味をお互いに知っているからこその頼り頼られ。
今後の老後に十分役立ちそうです(笑)
いや、ほんとに。
以前の私ならきっと最期は孤独死です。
「信じる」←これは学べたようです。

森のようちえん保護者

高木 風子 さん

娘と3年間、森のわらべにかよいました。
森の中ではわたしが幼い娘にしてあげられることは少なく、
家の中や他の場所に比べると、自由に対等に一個人同士になれる場所だったと思います。
森の中ではわたしより娘のほうがたくさんのことを知っていたし、
毎日歩いているからだもずっとわたしよりしなやかでした。
本当にみていることしかできないし、
見ていてこんなに楽しいものかと娘を観察しました。

森を卒園して思うのは、
これからも、わたしはみていることしかできないんだなということと、
同じくらいみられているんだな、ということです。

そう思うと、わたしをみている 小さな目が
わたしを親に、大人にしていくのだな、と思うのです。

親子組会員

林 由美 さん

「すーーーっと力が抜ける場所」
一人目がまだ小さい時。はじめての子育て。不安が強くてなかなか母から離れない息子。
親子の集まりに行くと、他のお子さんはお母さんから離れて楽しそうに遊んでるのに、我が子は全然参加しようとしない。「私の関わり方がいけなかったのかな、、。」ことあるたびに、自分の子育てに落ち込んでいました。
そんな感じだったから、親子の集まりも正直得意じゃありませんでした。
 でも、森わらの親子組に初めて参加した日。すーーっと心が軽くなって、帰り道ウキウキしている自分がいたのを覚えています。
 自然の浄化パワーもあったと思います。でも、それ以上に、人の温かさにふれられたことが私の心を軽くしてくれました。
 森わらの親子組は、日々一生懸命頑張っているお母さんに、「頑張ってるね。」「頑張りすぎなくていいんだよ。」「そのままで大丈夫。」と言葉でも心でも空気でも包み込んでくれる雰囲気が代々伝わっている温かい場所。私だけでなく、新しく入ってくるお母さんたちが、次々と肩の力を抜いて自分らしく輝いていく姿もたくさん見せてもらいました。その姿を見るのもまた幸せでした。
 【子どもも私もありのままの自分で大丈夫】親子組で教えてもらったこの言葉が、今の私と、私の子育てを支えてくれています。

親子組会員

矢野 香澄 さん

 未就園(2歳)児の長男と1年間通い、今春からは次男もお世話になっています。自然のなかでは、子どもは五感を使って世界に浸かり、言葉になる以前の、「あ!」としかいいようのない驚きの真っ只中にいるようです。多動気味の長男もとても集中し没頭しているときがあり、楽しく幸せそうな表情をしていました。この体験は息子にとって、かけがえのない財産になるのではと予感がしています。スタッフさんやお母さん達が息子の良いところや変化したところをさりげなく伝えて下さるので、普段息子を批判的に見すぎていたことを反省し、何度も何度も心が洗われました。 
多治見市は街的なもののなかにも、お散歩に適した森が所々にあり、豊かな環境です。頻繁に森に通うことは、出不精の私達家族にとっては、親子組にいなければできないことでした。現地に着くまでは準備も大変で、ハプニングもつきものだったけれど、そのうちに慣れてきて、参加日以外の日も、気づけば、以前よりおおらかに過ごせていました。
 自然のなかにいるためか、親同士の距離感がよい具合で、相談にのってもらうこともあれば、話さずにぼんやり考え事をしていてもよく、心地よく時間は過ぎていくので、私には合っていました。スタッフさんや会員の皆さんは似ているようで、体験としてきた苦労も価値観も違い、十人十色。「我が子が何か悪さをしないか」とピリピリしたり、いい母親ぶったり、気取ったりしなくてもよい場でした。親子組という名称ですが、「○○の母」ではなく一人の大人として、気の合う友人ができるのも魅力の一つです。